国語の答えは問題集によって違う場合がある

5年生の国語で質問があった。

語彙の問題で、ことばの意味を選択肢から選ぶ問題。

解答と子どもの答えが違う。しかし、子どもが主張する答えの方が正しいように思える。過去問なので3つの問題集の答えを比較してみると、なんと全部違う。

ああ、そういうことか、と思いました。

つまり大人でもいろいろな見解がある。で、入試問題は解答が公表されない。本当に気合いの入った学校以外は公表しないので、そうなると問題集を執筆する先生たちの協議に委ねられる。それでも、違う、という場合はあるわけです。だから出版社で答えが違ってしまう。

そういう場合はどうするか?

あまり細かいことを気にすることなく、大きく○をつけてしまえばいいでしょう。

そこまで考えられるようになったのだから、普通に答えられる問題はまず間違わなくなるだろう、ということです。

で、こういうことが国語の過去問の場合はよく起きる。算数は答えが明確ですが、国語はこれ、と決まらない場合もあり得るので、答え合わせは慎重にした方が良いでしょう。

国語の答え、本当は学校に発表してほしいなあ、といつも思うのですが・・・。


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宿題のない塾

本当のことを言うと、宿題は出したくない、といつも思っています。

フリーダムの場合、やるべき問題は決まっている。それを理解し、練習すればいいわけだから、それは宿題というよりやるべき内容であって、塾で終わる場合もあるし、終わらない場合もある。

でも、それは1週間のうちに終わらなければいけない問題であって、子どもたちがそれなりに勉強すれば十分に終わるであろう量を考えています。

で、それが終われば後は自在に勉強ができる。

今までで理解できなかったことをもう一度勉強することもできるし、これから6年生は過去問もやらなければいけない。それだけの時間的余裕がなければいけない。

その意味で言うと、最近の塾は宿題が多すぎる、と思うのです。

宿題を出さないとやらないから、ということのようですが、しかし、そうなるとやらされるから、自分のすべき勉強を自分で考えることができなくなるのです。

次の試験に向けて、ここは覚えよう、とか、今ひとつ平面図形のことがわかっていないので復習しようとか、勉強すべきことはいろいろある。しかし画一的な宿題を出されると、本人の現状と合っていない場合も当然出てくる。宿題はなくても勉強しなければいけないことは当然ある。

そういうことを自分で考えられるようになることも大事なことだと思うのです。


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